東京高等裁判所 平成10年(ラ)1661号 決定 1998年10月05日
抗告人
小田川サク
右代理人弁護士
藤川元
同
近藤義徳
相手方
株式会社住友銀行
右代表者代表取締役
西川善文
右代理人弁護士
海老原元彦
同
廣田寿徳
同
竹内洋
同
馬瀬隆之
主文
一 原決定中、原決定別紙文書目録三記載の稟議書に関する部分を取り消す。
二 相手方は、東京地方裁判所(右基本事件の係属部)に対し、本決定送達の日から五日以内に、右稟議書を提出せよ。
三 抗告人のその余の抗告を棄却する。
理由
一 本件抗告の趣旨及び理由は別紙のとおりである。
二 当裁判所も、抗告人の申立て中、原決定別紙文書目録一記載の業務日誌の提出を求める部分は理由がないものと判断する。その理由は、原決定三頁八行目の「一件記録によれば」の次に「、業務日誌の性格は明らかでないが」を加えるほかは、原決定の理由欄の二1に記載のとおりである。
三 当裁判所は、抗告人の申立て中、原決定別紙文書目録三記載の稟議書(以下「本件稟議書」という。)の提出を求める部分は理由があると判断する。その理由は、次のとおりである。
民事訴訟法二二〇条は、一定の文書の所持者に、その提出義務がある旨を定めている。この趣旨は、次のとおりであると解される。同法は、証拠方法として、証人尋問(第三章第二節)、当事者尋問(同第三節)及び鑑定(同第四節)と並んで文書の取調べ、すなわち書証(同第五節)について定めている。また、同法は、裁判所は、証人については、特別な定めがある場合を除き、何人でも尋問することができる旨(一九〇条)を、当事者本人については、申立てにより又は職権で尋問をすることができる旨(二〇七条一項)を、鑑定人については、鑑定に必要な学識経験を有する者は鑑定をする義務を負う旨(二一二条)をそれぞれ定めるとともに、一定の文書については、右のとおり、その所持者に提出義務があると定めている。このように同法が多様な証拠方法を認め、裁判所が証人、当事者本人、鑑定人、文書について広く証拠調べをすることができる旨を定めている趣旨は、裁判所が、民事事件についての審判をするに当たり、争いのある事実について証拠に基づく適正な認定ができるようにすることにあると解される。とりわけ、同法二二〇条四号は、その趣旨を具現したものであり、文書(公務員又は公務員であった者がその職務に関し保管し、又は所持する文書を除く。)が、同号イ、ロ又はハのいずれにも該当しないときは、文書の所持者にその提出義務があるものと定め、広く文書提出義務を認めている。
同条三号後段は、文書が挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき(以下、同号後段に該当する文書を「法律関係文書」という。)は、その文書の所持者は、その提出を拒むことができない旨を定めている。この法律関係文書は、前記趣旨をも考慮すると、右法律関係そのものについて作成されている文書(手形小切手のような処分証書、金銭消費貸借契約証書のような証拠証書など)にとどまらず、右法律関係の成立又は効力について裁判所が適正な事実認定をするために必要な文書をも含む(もちろん、法律上作成を義務付けられ、又は商法三六条などによって保存が義務付けられているものに限定されるものではない。たとえば契約書は、一般に作成を義務付けられているものではない。)。
そして、当事者双方又は一方が組織体(いわゆる個人企業をも含む。)であって、複数の人がその意思決定に関与している場合において、当事者間の法律関係を形成する過程で、その担当者がどのような情報(判断根拠)に基づいてどのように関与したかを明らかにする文書は、いわば組織内の公式文書であり、まさに法律関係文書に該当する。経済社会関係が複雑になるに伴い、このような組織内の意思決定手続の適正は、その意思形成の合理性を担保する基本であり、その手続及び決定の根拠を文書によって明確にすることは、およそ経済活動を行う者として当然すべきことである(利害関係者に対してその活動の適法性及び合理性を説明する義務を負う。)。これを怠っている場合には、その決定が適正かどうかの判断の上で相応の不利益を受けることを甘受すべきものである。
一件記録によれば、本件基本事件は、銀行である相手方が抗告人に対し二度にわたって合計六億一一〇〇万円を貸し付けたところ、抗告人が相手方に対し、右貸付が錯誤により無効である、相手方が貸付に当たっての注意義務に違反した違法があるなどと主張するものであることが認められ、稟議書は、抗告人の借入申込みを受けて、銀行である相手方が右貸付に先立ってその貸出しの意思を確定する過程で作成する文書で、その意思の決定の合理性を担保するために各担当者が決裁印を押してその責任の所在を明らかにするものであることは、公知の事実である(その存在を相手方は否定しない。)。このような文書は、右事件において法律関係文書に当たることは明らかである。なお、後記のとおり、稟議書等の前記の趣旨の文書は、専ら文書所持者の利用に供するための文書というべきでないし、そもそも内部文書であることは、直ちに法律関係文書たることを否定する理由となるものでもない。
もっとも、明文の規定はないが、企業秘密その他の秘密やプライバシーに関わる事項が含まれているときなど、裁判所がその法律関係文書を提出させ、適正な事実認定をすることによって得られる法益に優先する法益を保護することが必要な場合には、当該文書の所持者は、文書提出義務を負わないと解するのが相当である。また、文書中、要証事項と関連性のない部分についても提出義務を認める必要はない。しかし、本件ではこのような事情の存在を窺うことはできない。
ちなみに、稟議書等が挙証者と所持人との間の法律関係についてのものでない場合、すなわち、債権者代位訴訟や詐害行為取消訴訟の場合、商法二六六条ノ三により取締役の業務執行上の重大な任務懈怠が問題とされている場合、所持人の業務遂行によって権利を害された第三者が所持人の責任を追及する場合など民事訴訟法二二〇条四号による文書提出義務が問題となる場合においても、右稟議書等は、組織としての意思決定(業務執行決定)の適正を担保する(利害関係者にこれを説明し、証明する)ための文書として、日記や手控えとは質的に異なるものであり、安易に同号ハに該当すると解すべきものではない。
証人義務と対比すれば、文書提出の義務も広く解することが相当であり(作為的になることが避けられない紛争発生後の人証に比し、紛争発生前に作成された文書はより信用できる。民事訴訟法二条の趣旨に照らせば、本来、少なくとも当事者たる所持人は、このような文書を自発的積極的に提出すべきものであり、これを拒む者についてその提出義務をを認めないことは、わが国の法律社会としての成熟を阻害することになる。)、前述の法益の衝突が認められるような場合においては、一部提出命令(同法二二三条一項)やいわゆるイン・カメラ手続(同条三項)を活用すれば足りる。
四 よって、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官稲葉威雄 裁判官鈴木敏之 裁判官橋本昇二)
別紙即時抗告申立書<省略>